本書は、2020年の刊行以来、多くの方に支持していただいた『対話と承認のケア ~ ナラティヴが生み出す世界』の増補版です。補遺にて、ナラティヴ・アプローチの有効性とこれからの展望を初版から一歩進めて解説しました。巻末には索引が付きました。
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初版の「まえがき」より
「ナラティヴ」は、ケアと対話の関係に、新しい可能性を切りひらく力をもっています。それは、対話自体がケアになるという可能性です。本書では、この可能性を考えるために、「ナラティヴ」を使って、ケアする人とされる人の二者関係を掘り下げていきます。ナラティヴ(物語)について書かれた書物はたくさんありますが、本書がそれらの書物とどう違うのかといえば、この「ケアする人とされる人の二者関係」を、最初から最後まで軸に据えていることです。
よく言われるように、人は物語を作りながら生きています。もっと言えば、「自分という存在」の意味や、「いまこうして生きていること」の意味を、物語を作ることで理解し、納得しようとします。これが、「私のナラティヴ」とか「自己物語」と呼ばれるものです。
ナラティヴについて書かれてきたものの大半は、この「私のナラティヴ」を軸にしています。ケアとの関わりで書かれた本ならば、「私のナラティヴ」とはもっぱら「患者のナラティヴ」であり、医療従事者のような「ケアする人」は、その「患者のナラティヴ」に耳を傾ける人、すなわち「聞き手」の役割を持たされています。
これに対して、「ケアする人」の側にもナラティヴがある、というのが、本書のスタンスになっています。ケアする人とされる人が完全に対等な人間だと考えるなら、ほんらいは次の二つを同時に考える必要があるはずです。
ケアする私の前に、ケアされるあなたがいる。
ケアされる私の前に、ケアするあなたがいる。
こうして並べてみると、「私のナラティヴ」とは、ケアをする人とされる人が、各々に抱えもっているものだということに気づきます。もっといえば、「私のナラティヴ」は、たった一人でつくりだすものとは限らず、「あなた」の前でつくられるのかもしれません。
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増補版の「まえがき」より
本書の刊行からおよそ五年の歳月が流れた。
この間に生じた「ナラティヴ」関連の出来事について、ヘルスケアの領域に限定せずに振り返ると、最も目につくのは、残念ながら、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻だと言わざるを得ない。
本書では、ヘルスケアの領域でのナラティヴ・アプローチを考えている。本書での「ナラティヴ」とは、主には患者や医療従事者などの「個人のナラティヴ」である。これに対して、ウクライナ戦争における「ナラティヴ」は、国家や社会などの「集団のナラティヴ」である。ナラティヴ研究の第一人者の一人であるキャサリン・リースマンが「集団は、人を動かし、帰属意識を強めるためにナラティヴを用いる」と述べている通りで、戦争を始めようとする指導者たちは、戦争を正当化する集団のナラティヴをつくり出し、それによって国民を団結させ、兵士たちに命を捨てる覚悟をもたせようとする。ウクライナへの軍事侵攻を正当化するナラティヴによって、今日までに少なくとも十一万人の兵士の命が失われてしまった。ナラティヴとケアを考えてきた立場からすれば、まことに悲しい現実である。
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さて、ヘルスケアの領域に目を向けよう。
幸いにも、そこでは人の命を助け、心を癒すために、ナラティヴが用いられている。
この五年の歳月のヘルスケアの状況を大きく俯瞰すれば、ナラティヴ・アプローチを含めた「対話」や「心のケア」への関心は、確実に高まっている。
その典型が、命の始まりと終わりの局面に見られる。
命の始まりの医療の一つに、出生前診断(または出生前遺伝学的検査)がある。これは、妊娠中に胚や胎児の状態を調べる検査である。異常が見つかった場合に、産むか否かという意思決定をすることになるのだが、その際に、遺伝カウンセリングを受けたうえで意思決定を行えるようにする体制の充実が図られている。遺伝カウンセリングの内容は、患者や家族に幅広い情報提供を行い、心理的・社会的サポートを行うことで、自律的な意思決定を支援することとされている。
死が近づいた段階の医療では、ACP(アドバンス・ケア・プランニング、または「人生会議」)の普及が促進されている。厚生労働省によるACP普及啓発のためのホームページによると、これは「もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組」である。
これらは、ケアを受ける立場の人と、ケアを提供する立場の人とが、ある程度の時間をかけて言葉を交わし、治療などについての方針を決めていくための「対話」である。このように、「対話」が医療のなかに組み込まれる機会は、間違いなく増加しているように思う。
「対話」からさらに一歩踏み込んだものとしての、「心のケア」についてはどうだろうか。
これについても、日本社会では着実な前進が見られる。「心のケア」の専門家として本書でも触れている公認心理師は、2024年9月時点で7万3千628人となった。これは、人口1万人あたり6人ほどという計算になり、この資格が国家資格としてスタートした当初の、2019年3月の登録者数2万4千56人から3倍に増加した。
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このように、「対話」や「心のケア」は、私たちの社会のヘルスケアのなかで、確かに前進しつつあるのだが、出生前診断に伴う遺伝カウンセリングにしても、終末期などのACPにしても、さらには公認心理師の活動についても、いずれも十分な状況にあるとは言いがたい。「対話」や「心のケア」のための制度が整い、そうした機会が増えつつあると言っても、それがどの程度充実したものになっているかという「質」にまで目を向ければ、いまだ緒についたばかりだと言わざるを得ない。
本書で考えるナラティヴ・アプローチとは、まさしく「対話」や「心のケア」の質を高めていくための方法論と言って差しつかえない。その意味では、このタイミングで増補版を刊行できたことを喜びたい。増補版では、新たに補遺を設けて、本書から漏れ落ちた問題の一部を議論した。また、全体を行き来しながら読むのに使える索引を設けた。
最後に、本書の増補版の刊行に際して尽力していただいた医学書院の金子力丸氏と、筆者の文章に忌憚のない意見を述べてくれた宮坂徳子氏に、あらためて感謝の意を表する。
2025年1月 筆者
目次
増補版へのまえがき
はじめに
第1章 日々のケアにひそむナラティヴ
1 日々のケアにひそむナラティヴ・アプローチ
2 ナラティヴのブームと誤解
第2章 ナラティヴとは何か
1 言葉の話
2 文学と言語の物語論
3 現実世界の物語論
4 ヘルスケアの物語論
第3章 ケアする私、ケアされる私
1 〈ケアする私〉の物語論
2 〈ケアされる私〉の物語論
3 ケアし、ケアされる「私たち」の物語論
第4章 他者のナラティヴを読む —— 解釈的ナラティヴ・アプローチ
1 医療制度の入口で
2 急性疾患の臨床現場で
3 慢性疾患の臨床現場で
4 日常臨床での解釈的ナラティヴ・アプローチ
5 ナラティヴの解釈が「ケア」になるとき
第5章 複数のナラティヴの前で —— 調停的ナラティヴ・アプローチ
1 ナラティヴの不調和
2 調停における実在論と構築論
3 ナラティヴの調停が「ケア」になるとき
第6章 他者のナラティヴに立ち入る —— 介入的ナラティヴ・アプローチ
1 心のケアと心の病い
2 〈私の物語〉への介入
終章 ナラティヴがケアになるとき
補遺 話を聞くことの意味について