2005年に刊行した『医療倫理学の方法』では、倫理問題を扱うための「方法論」を重視し、生殖医療から終末期医療、および医学研究などの各領域の具体的な事例の分析法や解決策を解説しました。2011年に第2版を、2016年に第3版を出版し、医療系の教育機関等で多くの方に本書をお使いいただきました。
今日では、医療倫理はわが国の医療従事者の教育課程に組み込まれ、実際の医療現場にも相当程度浸透した観があります。そうした状況に鑑み、もっと実践的で臨床現場での使用にも耐えるようなテキストを世に問うべきではないかと考えるようになりました。ただし、『医療倫理学の方法』と同様に、大学や専門学校で初めて医療倫理を学ぶ初学者や、これまで医療倫理を十分に学んだことのない医療従事者にとっても読みやすいものでなければなりません。
そこで、新しいテキストでは、「自分たちの意思決定がどのような考え方に基づき、またどのような話し合いをたどって行われたものなのか」を説明できる能力を身につけることを重視しました。根拠を明確にしながら判断を下す過程を「倫理的推論」と呼び、判断の過程を他者に明示する責任のことを「説明責任」と呼びます。本書では、医療従事者が適切な倫理的推論を行う力を身につけ、自分たちが行う意思決定についての説明責任を果たせるようになるための知識と方法を解説しています。
2024年3月から執筆を始め、7月に概ね完成、12月に本書を刊行することができました。比較的短期間で刊行できたのは、医学書院の編集担当・金子力丸氏のご尽力と、新潟大学医歯学総合病院での倫理的問題を検討する機会を多く持たせていただけたことが大きいと考えています。関係各位にこの場をお借りして感謝申し上げます。
◆ 目次
まえがき
第I部 医療倫理の歴史
第1章 職業倫理の夜明け
1 古代医療における医療倫理──プロフェッショナリズムの誕生
1) 医療倫理の起源
2) 「ヒポクラテスの誓い」
3) 医療従事者と患者の関係
2 中世から近代にかけての医療倫理の変化──西洋近代医学の発達の光と影
1) 中世における変化
2) 科学としての医学の誕生
3) 医療従事者と患者の関係の変化
4) 社会への貢献
5) 優生学の誕生
6) 近代医療の導入期における日本の医療倫理
第2章 負の遺産と新しい時代
1 医療従事者が人命を奪った悲劇とその断罪
1) ドイツ
2) 日本
3) ドイツと日本の医師たちの戦時犯罪の処断
2 被験者の権利から患者の権利へ
1) 米国から世界に波及した患者の権利
2) 日本での患者の権利
第II部 医療倫理の理論
第3章 倫理,規範,法
1 倫理,規範,法
1) 倫理とは何か
2) 倫理と規範
3) 倫理と法
2 ケーススタディ──倫理,規範,法と医療現場での判断
〈事例〉救急救命士による気管挿管
第4章 倫理理論と原則的アプローチ
1 倫理理論
1) 倫理的推論
2) 義務論と帰結主義
3) 自由主義と共同体主義
4) ケアの倫理,ナラティヴ倫理,討議倫理,徳倫理
2 医療倫理の原則
1) 倫理原則とは何か
2) 米国型の4原則
3) 欧州型の4原則
3 原則的アプローチによる倫理的推論
1) 臨床事例への倫理原則の適用
2) 選択肢の明示と,倫理原則による正当化の根拠の検討
3) 事例によるデモンストレーション
〈事例〉自分の勧める治療法を拒否された医師
第5章 対話的アプローチ
1 対話,ナラティヴ
1) 医療従事者間の対話
2) 対話による倫理的推論のルール
3) 患者や家族との対話と,対等性の障壁
4) ナラティヴ
5) ナラティヴの調停と対話
2 対話的アプローチによる倫理的推論
1) 臨床事例での対話
2) 事例によるデモンストレーション
〈事例〉自分の勧める治療法を拒否された医師
第6章 臨床倫理のツール
1 4分割法
2 臨床倫理ネットワーク日本の臨床倫理検討シート
3 ナイメーヘン法
4 ジレンマ法
5 ナラティヴ検討シート
第III部 性と生殖
第7章 性についての医療倫理
1 性について
1) 性の多面性
2) 性規範,性役割
3) 性同一性
4) 性的関心の対象
5) 性と生殖の健康,性と生殖の権利
2 性についての医療倫理
1) 性分化疾患
2) 性同一性障害(性別不合)
3) 犯罪的な性的嗜好
4) セクシュアリティへの関与
ケーススタディ① 患者のセクシュアリティへの関与についての倫理的推論
〈事例〉性的な介助を求められた理学療法士
第8章 生殖についての医療倫理
1 生殖について
1) 人間の生殖の特徴
2) 女性の権利
3) 子どもの権利
4) 障害者の権利
5) 性的マイノリティの権利
2 生殖についての医療倫理
1) 避妊
2) 人工妊娠中絶
3) 出生前診断,着床前診断,着床前スクリーニング
ケーススタディ② 出生前検査による人工妊娠中絶についての倫理的推論
〈事例〉出生前検査と障害胎児の中絶
4) 不妊治療
第IV部 死
第9章 死についての医療倫理(1)
1 死について
1) 生物学的現象としての死
2) 寿命の伸長と死因の変化
3) ライフイベントとしての死
4) 死生観,死を前にした人の心理
2 死と医療
1) 死の判定
2) 死を遠ざける医療,穏やかな死を迎えるように支援する医療
3) 尊厳死,ホスピス・緩和ケア
4) 自己決定支援,事前指示,ACP,共同意思決定
第10章 死についての医療倫理(2)
1 告知
2 死を早める結果をもたらす処置
ケーススタディ③ 生命維持治療の差し控えについての倫理的推論
〈事例〉透析の拒否
第V部 患者の権利,公衆衛生,研究など
第11章 患者の権利についての医療倫理
1 患者の権利について
1) リスボン宣言の患者の権利,各国での法制化
2) 患者の権利と日本の法制度の課題
3) 意識のない患者,法的無能力の患者
4) 患者の意思に反する処置
2 患者の権利についての医療倫理
1) 患者の判断能力
2) 自己決定と代理決定
3) 自己決定と代理決定の注意点
4) 小児患者の自己決定と代理決定
ケーススタディ④ 小児患者の権利についての倫理的推論
〈事例〉親による,6歳の患者への人工呼吸器の導入の拒否
5) 患者の意思に反する処置
ケーススタディ⑤ 自己危害,他者危害が生じ得る事例での,患者の意思に反する処置についての倫理的推論
〈事例〉認知症患者の身体拘束
第12章 公衆衛生,資源,情報,研究についての医療倫理
1 公衆衛生についての医療倫理
1) 公衆衛生についての倫理的問題の基本的な図式
2) 公衆衛生における倫理原則
3) 公衆衛生における感染症政策
4) 感染症政策の倫理的問題
2 医療資源についての医療倫理
1) 医療資源
2) 生体の医療資源化(1)──臓器移植
3) 生体の医療資源化(2)──クローン技術,再生医療技術
4) 資源配分
3 情報についての医療倫理
1) 情報について
2) 情報倫理の基盤
3) 医療における情報倫理
4) 遺伝情報という特別な情報
5) 遺伝情報についての医療倫理
4 研究についての医療倫理
1) 医療と研究
2) 研究者としての倫理,研究不正
3) 人間を対象とした研究の倫理
4) 動物を対象とした研究の倫理
あとがき
[資料]
WMAジュネーブ宣言
WMAヘルシンキ宣言 人間を対象とする医学研究の倫理的原則
患者の権利に関するWMAリスボン宣言
日本医師会 医の倫理綱領
日本薬剤師会 薬剤師行動規範
日本看護協会 看護職の倫理綱領
日本理学療法士協会 倫理綱領
日本作業療法士協会 倫理綱領
日本視能訓練士協会 倫理規程
日本臨床衛生検査技師会 倫理綱領
日本歯科技工士会 歯科技工士の倫理綱領
索引
[事例](抜粋)
救急救命士による気管挿管
自分の勧める治療法を拒否された医師
性的な介助を求められた理学療法
出生前検査と障害胎児の中絶
透析の拒否
親による,6歳の患者への人工呼吸器の導入の拒否
認知症患者の身体拘束