本書は、倫理というものを、弱い存在を前にした人間が、自らの振る舞いについて考えるものと捉えてみようという試みです。
最初に、人間の弱さを多面的に見つめます。人間という存在を、生物学のような自然科学と、哲学や心理学のような人文社会科学の両面から広く捉えてみると、私たちの弱さは、生きている存在であるがゆえの代償であることが、あらためて見えてきます。脆さは高機能であることの代償であり、有限性は統合性の、心の弱さは主体性の代償です。さらに、私たちは、他者との関わりで生じる弱さを持っており、それを手段化、依存、争いという三つに分けて考えています。
その上で、人間は弱さに対抗するために技術を生み出してきた、と考えてみます。そのような視点で、長い人類の歴史を眺めてみると、18世紀からの200年ほどの短い期間に、人間の技術は強力なものになり、多くの倫理的問題を生み出したことがわかります。人間は、誰もがひとしく弱い存在ですが、科学技術という強者の服を纏うことができ、それによって人々のあいだに差異が生じます。
医療では、強者の服を纏うのは専門家であり、患者は裸の弱い存在です。エンジニアは、強者の服を誰かに纏わせて、強い存在を作りだすことができます。さらには、他の生物や環境を前にするとき、私たちの誰もがこの強者の服を纏っているのに、しばしばそのことに無自覚です。本書は、そのような視点を採用することで、医療倫理、技術倫理、環境倫理を、同じテーブルの上で考えてみようという試みでもあります。
本書を読んでいただけるかもしれない読者の皆さんについて、筆者には二つの思いがありました。一つは、医療や自然科学、科学技術など、「理系」の領域で生きる皆さんに「倫理」というものを、少し客観的な視座から考えてもらいたいという思いです。もう一つは、「文系」の領域で生きる皆さんに、従来の倫理学の本とは少し違った観点で書かれた倫理学の本を、思い切って提案してみたいという思いです。こうした二つの企図から、本書では、倫理学者が論じてきたことを詳細に吟味する文献学的な方法論を採りませんでした。言うならば、理論や思想家ではなく、問題の方に顔を向けて書くというアプローチを取ってみることにしたのでした。
(本書「あとがき」から改編した文章です)